高見城山〜〔055〕石戸山 (549m)
2005年10月30日
兵庫県の目ぼしい山は登りつくした感があり、マイナーな山に行くと
薮扱きがあったり詰まらなかったりすることが多い。
それではと兵庫50山を今まで登っていないコースから登ってみよう
と思い立ち、手始めに五台山に登ることにした。
五台山に向けて国道175号線を走っていると、山南町辺りで朝もや
が立ちこみ始めた。この季節、朝の冷え込みがあると川沿いの平地で
よく見られる現象であるが、これを山の上から見ると雲海の様に見え
る。五台山まで行っていると朝もやが消えてしまいそうなので、柏原
町から石戸山に登ることにした。
例によって登山口には高見城跡の説明文があったので
一応写しておくが興味はまったく無し。
テント張りのコテージの間には竪穴式住居を模倣したものが
数箇所にあった。 これもコテージの様に泊れるのか?
高見城山まで戻り、キャンプ場へ下って行くと、展望台600mの標識がある。 今日は霞んでおり展望してもしょうがないが取敢えず行ってみる。 コシダの茂る道を掻き分け進むと15分程で東屋が建つ地点に出る。
この東屋が展望台と称する地点か。展望はまったく利かず、周辺にも展望台らしき所は無い。
下山道から展望を得ながらキャンプ場へ帰る。
3時間15分で ”高見城山”、”石戸山”を終える。
雑感
カシミールの地図を見ると ”高見城山”は山名が記してあるが、”石戸山”は山名が
載っていない。 山に格付けするのはおかしな話しではあるが、どちらの山が格が上なの
だろうか。 山頂からの展望を重んじる私としては、高見城山の方が印象が良かった。
山頂にある三角点の説明文、展望を得るには
鉄平石の採石場跡まで行けと書いてあった。
これはログハウスのレストランではなくキャンプ場の管理小屋。
高見城山への登山口
当初から五台山の帰りに高見城山から縦走して石戸山へ登ろうと考え
ていたので、登山口は調べておいた。柏原町の悠遊の森へ進み、キャ
ンプ場の駐車場に車を停める。悠遊の森にはログハウスの立派なレス
トランがあるが、こんな田舎の辺ぴなところにどれだけの客が来るの
か心配してしまう。
キャンプ場からの登山道を登り始めると、至る所に立入禁止のお札がぶら下げてある。 せめて入山禁止期間だけでも書いて欲しい。
高見城山への登り途中に見た朝もや、朝の冷え込みが緩く、時間と
共に朝もやは消えていき、雲海もどきとまでは行かなかった。
高見城山直下にある ”亀井戸跡”、”わずかに痕跡を残している”と書いてあったが、痕跡らしきものは何も見当たらなかった。
37分を要して”高見城山”(485m)に着く。 朝もやはすっかりなく
なってしまい雲海は見ることは出来なかった。 展望の良い山頂であるが靄っており見通しは悪い。
高見城山から見た石戸山。 今日は石戸山まで縦走往復する予定。
鉄塔のあるピークまで行って、振り返り見た高見城山。
この山頂に建っていた本丸は随分と小さかったと思われる。
鉄平石採石場跡で見た岩盤、岩にははっきりとパーティングが
入っており、岩を割るだけで鉄平石になる感じだった。
1時間35分の縦走で”石戸山”(549m)に着く。
山頂の周囲は樹木が生茂り、相変わらず展望は無しだった。
高見城山〜石戸山の縦走路
登山道はしっかりしており薮扱きも無く楽に歩けるが、樹木が生茂り大半の部分では展望が得られない。
ヤセ尾根部分もあり生茂る樹木さえなければ石戸アルプスの名が付くかもしれない景観が得られそうであ
るが、現状は見所の無い退屈極まる縦走路である。
2001年に登った時には、この場所に無線中継所が建っていたが、今は跡形もなく無くなくなっていた。 台無しであった山頂も少しは良くなったか。
シバハリ(和名:アミタケ)
石戸山登り時にすれ違った老人ハイカー2人組みと下山時に縦走路で再会した。 2人組みは藪に入り込みキノコを沢山採っていた。 何を採っているのか聞いてみると
”しばはり”だと言う。 ”しばはり”なんて聞いたことがないので家に帰って調べてみると和名はアミタケでシバハリは方言名らしい。
何でも食べるたちであるが、山でキノコを採って食べる勇気は持ち合わせていない。
石龕寺からの石戸山(2001年5月3日)